人が孤独を埋め、生の意味を得るためには理解者が必要だ。だが、真の理解者を限られた時間でこの広い世界のなかで見つけることは不可能に近い。故に人はそれを「愛」で満たそうとする。多くの場合、人は肉親から最初の愛を受ける。無条件かつ無償の愛、これが子を「人」へと育て、子は親となり新たな愛を育む。だが、この「愛」を与えられられなかった者、歪んだ愛を受けてしまう者もいる。ただ、この二者に対しても一応の救済措置はある。二つ目の「愛」、他人への愛。異性愛あるいは同性愛によって、愛を知らぬ子が「人」となる可能性だ。(勿論、マッチングが悪いと共依存になるという落とし穴があるのだが)であるとするならば、他人への愛とはいったいなにであろうか。生物にインサートされた本能以外のなにものかであるというのならば、果たして「愛」とはどのような概念だろうか。もし私がこの先「愛」を与える側に立ったとき、私はこれについて説明することができるであろうか。未来の私に説明を求む。

 

わたしは好きで哲学するが、問題なのは哲学を学ぶことに全くときめかないことだ。